野毛の一部分
ここも夜になるとくったくのない笑顔と
楽しそうな声が聞こえてくるのかな
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大岡川のほとりにて。
桜の頃はすごく賑わうこの一角も
今は比較的静かで散策しやすい
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昼間でも独特の哀愁が漂う感じがする
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野毛から大岡川を渡った福富町
この日は快晴。その前の日も
だけど傘がこんな状態で落ちてる
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野毛は夜になると街の様子が一変してカオスな感じになる。
まだ桜木町の駅周辺が海だった頃、現在の野毛の街を通る道路が出来た。
横浜港開港(1859(安政6)年)に向けて突貫工事で開通した道路。
その道路の脇には幕府の施設や商人の邸宅ができていき、
明治の頃には病院や学校、露店や見世物小屋なども並び賑わった。
ただそれらは大正の関東大震災で壊滅することになる。
壊滅後、鉄道が敷かれ一旦は街の活気を取り戻したが
1945(昭和20)年5月29日 野毛はふたたび戦火により焼け野原になった。
横浜大空襲で行き先を失った人たちは現在の桜木町の駅前あたりに露店を出した。
そこは多くの露店立ち並ぶ、いわゆる闇市だった場所
戦後の統制下で仕入れも販売も禁止されていた時に
鉄道で遠くまで仕入れにいきこっそりと隠して野毛へ戻る
そうしたものをこの露店で売っていたので
当時は野毛にいけばなんでもそろうと言われていた。
生きるため必死になっていた当時の人々の力を感じる。
がその後、戦後伊勢佐木町などを接収していた米軍から衛生面での指摘を受け
この場所から撤収することになり、現在の野毛へと移転することになる。
そこから露店はさらに増え、人々も増える。
と当時に大岡川での水上生活者や米軍の暴行や略奪、娼婦や放浪者も増え
野毛はそうした混沌を抱えながら、賑やかな街になっていった。
「終戦でまんなか(伊勢佐木町周辺のこと)が吸い取られ(接収)ると、
こっち(野毛)が復活してきたんです。闇市です。
それがまたまんなかが復活して、出来上がった途端、
こっちは全部駄目になりましたね」
(なか区 歴史の散歩道 横浜の近代100話)
壊滅しては復活して、を繰り返して歴史を重ねてきた野毛。
現在は若い女性の飲み歩く姿も多く見られるようになった。
街があたたかくて居心地がいいらしい。
それにともなってオシャレなお店もだいぶ増えたと思うけれど
でも一本はずれた通りに入るとまだ混沌とした歴史の名残が垣間見れる街
まだまだ見てないところはたくさんある。
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