消えゆく船






何気に散策していた日、横浜・元町付近で気になるものを発見。

これがあるからぶらぶらするのは楽しいんだなぁ


なんとも言えない異様な光景に釘付けになり写真を撮る。撮る。撮る。




なんだろうこれ。船?漁船?にしてはなんかデカイ…船屋なのかな??


ここからだと反射でまぶしいので横にまわって見る。


錆びて崩れた階段。そこからロープが伸びて船に繋がってる
どっちも心配なんですが…


たまに漁船が廃船になって、放置されているのは見るけれど
それにしてもこれはデカイ。漁船とかの大きさじゃない。

誰かに聞きたいけど、あたりを見回しても誰もいないし
どこかのお店に突入して聞く勇気もなく、帰宅してネット様に頼る事に。


どうやら今回みつけた異様な光景は、その昔横浜の河川で多く見られた「ダルマ船」の残骸らしい。
ダルマ船とは水上生活者が暮らしていた船のこと。

もともと、大岡川や中村川などには水上生活者が多かった。
以前に「野毛」の記事をここで書いた時に少し書いたけれど、
戦後のGHQによる接収や空襲による家屋の火災などで、狭い横浜の土地を彷徨い水上生活へと移っていった人も少なくなかった。


時が前後するけれど、「関東大震災(大正12年/1923)」や「第二次世界大戦(昭和20年/1945終戦)」の起こるもっと前。
横浜港が開港した当時(安政6年/1859)は港の設備もまだ不十分で、諸外国の大型船が横浜港にやってきても強風で着岸出来ない事が多かった。
積荷の受け渡しは沖にいる外国船のところまで「ハシケ(貨物を運ぶ小舟)運送業者」がタグボートで行って、荷を受け取るという流れだった。

元々この「ハシケ運送業者」が中村川流域で活動してたところに、戦後のGHQ接収によってさらに水上生活者は増え、賑わった。

その後、昭和40年頃から港湾労働法が施行されたり、埠頭設備が整ったためハシケの活躍の場はぐっと減った。徐々にハシケ運送業者は減っていき、中村川には残されたハシケが不法に係留されるようになった。

この残されたハシケを簡易宿泊施設として利用したり、娯楽施設に利用したりしていた名残が、今回見つけた「改造ダルマ船」なのだと思う。


今回の船ではない別の船だけれど「船の休憩室 一泊1000円」なんて看板を掲げて川面に浮かんでた時期があったらしい。(2010年に写真を撮ってる方がいらっしゃいます)その船の持ち主の方はすでに亡くなっていて、後に関係者によって船は撤去されました。


昔は船の中で映画を上映していたり、もちろん宿泊も出来たらしいけれど、なんせ無許可。とても宿泊施設といえるほど立派なものではなかったらしい。




今回見かけた船を検索してみると、2011年に撮影された写真をネットで見つけた。

 こちらのHPで確認できます → 東京DEEP案内

今回見つけた場所とほぼ同じ場所、水上に見えている柵や船上の建造物が同じなので、同一の船なのは間違いない。


全体の朽ちた雰囲気と対照に、屋根の青いトタンが比較的綺麗なのが
なんとも言えない違和感を感じさせる…

この屋根の下のスペースで寝泊まりしたり、談話したりしていたのだろうな。




そして。

なんといっても船の沈み方がハンパない。
最初は船上の建物から見て屋形船のような形なのかと思ってた。

それが斜めになって沈みゆこうとしている瞬間なのかと。


実はこの写真ですでに水面下に沈んでいる部分が、コンクリートでできたとてもしっかりした構造になっていたのを、上の東京DEEPさんのHPで見てびっくりした。

およそ7年で静かに船の半分以上が沈んでいっている。


古い船は所有者が不明だったり、亡くなっていたりで行政も勝手に処分できない場合が多く放置されていることも珍しくない。

この船もロープで係留されているようにも見えるのだけれど

このまま時が経つのとともに静かに朽ちて沈んでいくのを待っている状態なんだろう…




その朽ちた雰囲気、今にも沈みゆこうとする異様な空間の写真を撮っていた私の背後には、


今は街も人もキラキラと輝くオシャレな街・元町が広がっている。




*2019年追記

↑の記事を書いてから久しぶりに元町をぶらついたのでどうなってるのかと見に行ってみた。船はまだそこにありました。以前訪れた時のまま。


同じ角度で撮るの忘れてしまったけど…。
青い屋根は綺麗なまま。去年の台風などの影響で船上の椅子や物入れなんかが動いてたぐらいで沈んでる深さはそんなに変わりなく。

もしかしたらすでに底についているのかも。
そして持ち主は不明なままなんだろう…。


また数年後。訪れたら追記していきたい。
















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