銀座の柳二世



銀座の金曜の夜。
飲み会帰りもしくは次の店を探すサラリーマンが通り過ぎていく中
酔ってもいないのにカメラ片手にフラフラ歩く私は
斜めの案内板を見つけ同じように首が斜めになってた。
二世?なんじゃ??と。気になったので帰宅して検索検索…
同じように疑問に思った人は沢山いたらしく情報はすぐ出てきた。


明治時代。街づくりの一環として銀座通りに桜・松・楓の街路樹を植えることになったが、元々埋立地であった銀座の土は水気が多く、どれも根腐れをおこしてしまう。そこで急遽選ばれたのが水気に強い「柳」だったという。その後、道路拡張によって撤去されたり、東京大空襲で焼失してしまったりしながらも、その度に植えなおされ、銀座の名物となった柳(当時の流行歌にも歌われた)だったが、昭和43年、やはり大規模な道路工事にともなってついに姿を消してしまう。それから16年後のある日。撤去された銀座の柳が実は日野市に移植されており、しかもそのほとんどが枯れ、3本しか残っていないということを偶然知って、いてもたってもいられなくなったのが勝又康雄さん。勝又さんは早速50本の枝を譲り受け、町会仲間の椎葉一二さん(故人)と共に、挿し木にして自宅の庭で育てた。苦心の末に成長した柳は、銀座の十数ヶ所に植えられた。
   情報元:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091101106700.html



えーっと、元々銀座に街路樹としてたくさんあった柳の木が道路工事で撤去された。
それが後年日野市で見つかり、有志が譲り受けて育てて再び銀座に植えた。
ってことか。(はしょりすぎ?)

当時の流行歌にも歌われたぐらいだから、この柳の木は街の象徴だったんだね。
住民の誇り、愛されていたんだろう。だからこその二世。
現在は三世・四世と増えて日本のあちこちに植えられているらしい。
安曇野市(銀座の柳が安曇野産だった)や飯山市でも確認されているので、もしかしたらご自宅の近所の柳の木が子孫。なんてこともあるかも知れませんよ。


「銀座の柳」が歌詞に入ってる歌…と調べたら「東京行進曲」が出てきた。
昭和4年。歌は知らないけれど映像を見てるだけでもなかなか興味深かった。